しかし、午前中バスが運行されるのは一便だけ、乗り遅れてしまった!
花巻駅と高村山荘を結ぶ便は、たった3本しかない!
それも平日のみの運行で午後二便、次のバスの時間14時まで、宮沢賢治の生家や「蔵」、公開期間限定(8月2日から27日)“産湯(うぶゆ)の井戸”を見学することになった。
賢治の「産湯の井戸」を目指し、花巻城下町 鍛治町を西に向って歩いた。
今から約140年前の江戸時代末期、鍛治町は花巻城の城下を形成していた。
この「産湯の井戸」は、賢治の母イチの実家、宮沢商店で誕生、当時は産院も無く出産するのが常だった。賢治が生れた8月27日の5日後、31日午前5時、真昼岳(岩手・秋田県境)を震源とする「陸羽大地震」マグニチュード7.2が発生した。
僅か20歳のイチが生れたばかりの賢治をかばうため、乗りかかるように上体を覆い、一心に念仏唱えていたと言う。イチは両親に似て慈悲深く上品であったと言う。
旅行で花巻に訪れた東大阪市の4人連れも観光タクシーで駆けつけた。
豊沢川の伏流水が地下水脈を形成していて水量は豊富、釣瓶井戸の水は今も満々と充ちている。味わってみたが、美味しい。
宮沢賢治「産湯の井戸」は114年の歴史を物語る。
高村山荘までは10㌔程の道程で些か遠く心苦しいが、快く送っていただいた。
彼とは子ども時代からの親友である。
つづく・・・
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