21日、祇園祭の後祭の山鉾町では、祗園囃子のコンチキチンに誘われて見物客たちが祭のムードを楽しんだ。

後祭で巡行する橋弁慶山の舁山の山建ても始まり、保存会役員・町内の方々は参加した。

ことしは、参加者らは汗をかきながら、慎重に組み立てていった。

橋弁慶山では保存会のメンバーや町内の関係者が自らの手で山建てを行っている。山建てと同時に会所飾りの準備も進められ、懸装品が並べられた。

近隣の童子・童女たちは橋弁慶山の組み建てをみていた。

舁山随一のくじ取らず、五条大橋の牛若丸と弁慶の決闘。

牛若丸は橋の擬宝珠(ギボシ)の上に左足駄の前歯だけで太刀を持ち弁慶を挑む。

北観音山と鯉山。

下り観音山とも呼ばれる南観音山。

宵山の期間中、旧家や老舗では、秘蔵の屏風や美術品が公開される。

屏風と伝統文化を伝える「ヒオウギ」。

大船鉾は蛤御門の変でことごとく消失したが、約150年振りの復興を果たし、14日、龍も披露した。

祇園祭後祭、梅雨も上り24日が巡行が待ちどうしい・・・。(7/21撮影)
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