明治時代、南禅寺から政府に上納したもので、二代目徳七は「敷地の半分を大池泉に・・・」という壮大な構想は「植治(小川冶兵衛)」の得意とするところであったという。
疎水を引いて東西に長い池を配し、「蘆葉」と呼ばれる舟茶室を浮べ、池の畔には茶室や書院を並べる作庭であった。
別邸(碧雲荘)の内部などは木造平家屋建や桟瓦葺を用いた大玄関、能舞台、書院、洋室、書斎、茶室などの建物が配置されているという。
風光明媚な東山を借景に、琵琶湖疏水を引き込んで庭池を築いたという。
ハナショウブ群は、一般公開されていたが、ここ3,4年は残念ながら遠くからしか見ることが出来ず、今は防犯センサーで立入禁止となっている。(6/3撮影)
0 件のコメント:
コメントを投稿