2015年4月27日月曜日
神幸祭 松尾大社
昨日(26日)、西京区松尾大社では春祭りの神幸(おいで)祭が営まれ、桂離宮西岸から桂大橋東岸へ渡るお神輿の「川渡し」が行なわれた。平安時代の貞観年間から“川渡しの御船”で五穀豊穣や家内安全を願ったもので千年の歴史を刻むという。
大社は平安遷都以前からの神社で、秦一族の氏神として祀られたのが始まりと伝わる。
秦忌寸都理(はたのいみきとり)が701(大宝元)年に松尾山頂に一族の氏神として社殿を建立、秦氏が神職を受け継いできたのが起りとされている。
法被を着た威勢の良い與丁(よちょう)たちは総門の石段を登り、神輿の鳴鐶(なりかん)を手に拝殿に向った。
平安期は賀茂社と並び王城守護の社として大切にされ東の「賀茂の厳神」、西の「松尾の猛霊」と称され弟の秦伊呂具(はたのいろぐ)は711(和銅4)年、伏見稲荷大社を建立している。
祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の2座で、大山咋神は上賀茂社、賀茂別雷神の父神である。
本殿前で拝殿三周してから総門から外に出た。
満開のヤマブキをバックに神輿が三回拝殿廻しをして、楼門の外に出る。
危ない危ない・・・右側が沈んできたがなんとか持ちこたえた!おっとっと右側が傾いた、石段があるがスムースに通り抜けた。
威勢の良い與丁たちは二の鳥居に無事担ぎ終え観衆の拍手喝采を浴びていた。

赤鳥居の上部には榊の小枝を束ねたものが数多く垂れ下がっているが「脇勧請」と言って、月々の農作物の出来具合を占った太古の風俗を今に伝えている。
松尾七社は、本殿の御分霊を受けて拝殿廻し(三周回)後、月読社の唐櫃一基と六基の神輿が出発、神輿はヤマブキ色の輝いていた。
松尾大社の春祭り、これから桂離宮西岸へ向かって神輿は船渡御につづく・・・ 。(4/26撮影)
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