了以は戦国時代から江戸初期を生きた人で、豊臣秀吉から朱印状を得て、海外貿易を行った京都の豪商で、私財を投じて大堰川や高瀬川を開き、幕府の命令で富士川や天竜川も切り開いた 土木事業家だった。 自己の利益を考えるばかりでなく、人のためにもならなくては事業の意味がないという考えを持った了以は、商売の交渉は息子に任せ、自分は物資の輸送が便利に出来るよう土木事業に没頭し、 工事によって被害の出た農民に補償をするという、当時の社会としては驚くべき考え方を持った人でもあった。
今年は没399年で復活で、来年は了以400年忌ということで「平成の了以像」も可能になり「多くの人に了以を知ってもらい、その精神を生かしていきたい」と関係者は話していた。嵐山の「観音堂」という意味で本尊の千手観音菩薩、仏教の慈悲の「悲」をとって大悲閣と名付けたという。
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