2010年5月10日月曜日

宇治 平等院塔頭・浄土院

続く・・・平等院ミュージアム鳳翔館を見学して南西角にあたる浄土院にいった。 浄土院は栄久上人が開創し寺平等院ミュージアム鳳翔館を見学して南西角にあたる浄土院にいく
それによると浄土院は平等院の塔頭で1492~01(明応年間)年に、浄土宗の栄久(えいく)上人が開創し寺と伝わる。
本堂に礼拝、表に波型の台座に舟に乗る“救世船乗”という観音がある。
今昔、旅の安全を無事に祈願するよう祈っている。養林庵書院(重文)は、数々の古い宝が資料として残されている
旅人の航海の無事を祈るという船乗観音また堂内には木造帝釈天立像(平安時代後期)や木造阿弥陀如来立像(鎌倉時代後期~)、定朝の師である仏師康尚(こうしょう)の作がある。和漢朗詠集下断簡「平等院切(平安後期)」は、巻下雑部のうち、禁中・古京の全文十五行文、筆者は源頼政とされ深い関係があるという。 鏡天井の龍の彩色画だが、龍が写っていない失敗!
不動堂の火難よけ不動尊江戸時代、養林庵や知学庵など浄土院の子院が鳳凰堂西南を中心に多数できていた。養林庵書院は(重文)桃山城の遺構と伝えられ、障壁画は、床の間の図が雪景山水図、襖は籬(まがき)に梅図、天袋は花卉(かき)図で構成され、その作風から作者は狩野山雪といわれている。古図によると平等院山内で最も古い大書院(非公開)では“蘭香斎玉寶の獅子図四面”や後醍醐天皇が三種の神器を納め平等院に逗留したと伝えられる御座所などが残されている。羅漢堂は今も変化はみられない!
宇治川の流れは急流!また1640(寛永17)年、羅漢堂は茶師星野道斎とその息子によって建立された。江戸時代の地誌「都名所図絵」によれば、堂全体の形式や位置の変化は無く、内部の“鏡天井”龍の彩色画などは保存状況も良好である。
平等院といえば、鳳凰堂やミュージアム鳳翔館、梵鐘、四季折々の草木が主だが、過去の歴史を探る発見がおもしろい・・・(完)

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