2010年4月16日金曜日

洛北 今宮神社

今宮神社は、北区紫野にあり船岡山の北方、大徳寺の北西に鎮座している神社である。別名を「玉の輿(たまのこし)神社」ともいう。本殿
北大路通りから5分で楼門に突き当たる今宮神社は、平安建都以前より疫神(えきしん)を祀る社があったといわれる。
平安京が栄える一方で、人々は疫病や災厄に悩まされ、これを鎮めるため神泉苑、御霊社、祗園社など各地で盛んに御霊会(ごりょうえ)が営まれた。
西陣織物の祖神・技芸上達の神、織姫社疫神を鎮める疫社994(正暦五)年、一条天皇が当社地の疫神を二基の神輿に齋いこめて船岡山に安置し、神慮を慰め奉って悪疫退散を祈った。
これが紫野御霊会であり今宮祭の起源である。この時、京の老若男女は挙って神輿を上げ船岡山へ登り、綾傘に風流を施し囃子に合わせて唄い踊り、病魔のよれる人形(ひとがた)を難波江に流したといわれる。これが夜須礼(やすらい祭)である。「力石」天保年間もの
社務所ではお守り1001(長保3)年、疫神は船岡山から再び現在の当社地に奉遷され、新たに神殿三宇が造営されたのが今宮社の始まりである。創建年代については不明である。
以来、古くから疫病退散の神とされ、徳川綱吉公生母桂昌院の崇敬は西陣への愛郷の念とともに厚く、西陣の八百屋に生まれた「お玉」が徳川三代将軍家光の側室となったことから「玉の輿」と言うことわざが出来たとの説がある。4人一組の天邪鬼の石像暗闇に光を与える高い所にある月読社1694(元禄7)年、桂昌院は京の寺社の復興に力を注ぎ、社殿を修復して四基の鉾を寄進したと言われている。
1895(明治29)年、本社殿を焼失、1902(明治35)年に再建した。その後、西陣をはじめ多くの人々の崇敬を集めている。東門前の二軒のあぶり餅
宗像社は俗に弁天さんというその台石に60cmの”なまず”があるまた今宮神社の門前で売られている「あぶり餅」は平安時代からある店で日本最古の和菓子屋である。あぶり餅で使われる竹串は今宮神社に奉納された斎串(いぐし)で、やすらい祭の鬼の持つ花傘の下に入ると御利益があると信じられ、名物の餅を食べると疫病が祓えるとの言い伝えがある。
例祭「やすらい(夜須礼)祭」は4月の第二日曜日に催される。この御霊会の疫病を鎮める鎮花祭として1154(久寿元)年に始まったもので、「太秦の牛祭」「鞍馬の火祭」とともに、京の三奇祭の一つとされている。 東門を入ると元禄の神橋
「重軽石」は叩くとおこる石、願いが叶う石とも伝えられ、阿保賢さんとして人気があるちなみに、祇園社(現在の八坂神社)でも疫疾を祓う祇園御霊会ができ、現在の「祇園祭」として催されていて一端を偲ぶことができる。また、社殿前にある神占石は人気があり、手のひらで三度叩いて持ち上げると大変重くなり、次いで願いを込めて三度撫ぜて持ち上げると軽くなれば願いが叶う「阿保賢(あほかし)さん」という不思議な石がある。やすらい祭につづく
<今宮神社>
住所:京都市北区紫野今宮町21 電話:075-491-0082
拝観:境内自由(9:00~17:00)
交通:市バス 今宮神社前下車

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