2010年4月22日木曜日

行願寺(革堂) (ぎょうがんじ(こうどう))

西国三十三ヶ所観音霊場の第19番札所である行願寺は、京都御所の東南、寺町通丸太町を南に入った東側にある。行願寺「本堂」山門から正面に本堂、境内には巡礼の姿がみられる
天台宗延暦寺派 霊麀山(れいゆうざん)行願寺は、通称革堂と呼ばれ親しまれている。観音霊場の札所で、いつも境内には巡礼の姿がみられる。鎮宅霊符神堂
境内の北端に「鐘楼」1804(文化元)年、造営。本堂と鐘楼は市の有形文化財に指定されている1004(寛永元)年、革堂行願寺は行円上人によって創建された。
一条北辺堂(いちじょうほくへんどう)を復興して、寺名を「行願寺(ぎょうがんじ)」とし、一切の人々の成仏を「願い、行(ぎょう)じる」思いが込められている。行円上人の石碑
愛染堂通称革堂の名の起こりは、上人が常に革の衣をまとい、人々から皮聖とも呼ばれていたことから、革堂と呼ばれるようになったといわれている。
寺伝によると、開山の行円上人は出家前、もと猟師であったと言われ、山中で射止めた雌シカの腹から子ジカが生まれたのを見て、殺生を悔い仏門に入ったという。行円は戒めにこの雌鹿の革を身に着けて諸国の霊山を修業・供養、寒さ暑さを問わず、常にシカ革の衣を着ていたことから、人々が革聖(かわのひじり)とか皮上人と呼ぶようになった。殺された鹿に無常を感じて肌身離さなかったという説もある。
以後、人々からの厚い信仰を受け、町堂として大いに栄えたが、度々の火災により、寺地を転々とし、1708(宝永5)年の大火ののち、この地に移った。五輪塔の水輪がくり抜かれており、その穴の中に「加茂大明神」が祀られている
室町時代の作とされる「加茂大明神五輪石塔」本堂は1815(文化12)年に建立したもので、本尊は行円上人が造ったといわれる千手観音菩薩を安置している。
境内には「都七福神」の一つになっている寿老人神堂をはじめ、愛染堂、鎮宅霊符神堂、加茂明神塔(五輪石塔)がある。
また、宝物館には子供を背負った若い女性が浮かび出る幽霊絵馬の伝説がある。正面には革堂観音と書かれた「大提灯」があり印象的である
江戸時代、寺の近くの質屋に奉公していた子守りの女お文(ふみ)が、革堂の御詠歌を子守唄代わりに唱えていたところ、法華信者の主人に咎められ、お文は折檻し殺されてしまった。主人はお文の遺体を土蔵に隠し、知らぬふりをしていた。お文の両親が行願寺で通夜を営んでいたところ、彼女の幽霊が現れ、事の次第を語ったので、真相が発覚、遺体は無事発見され質屋の主人は捕らえられたというものである。
手鏡はお文が奉公に出るとき母親から貰った大切なもので、両親はお礼に絵馬を描き、お文愛用の手鏡を添えて奉納したと伝えられている。
絵馬には子を背負った若い娘の姿が浮かび、その左側には手鏡がはめこんであるという。
 「花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん」 (御詠歌)
毎年、8月の3日間、本堂にて行われる幽霊絵馬供養のときに見ることが出来る。
<行願寺(革堂)>
・住所:京都市中京区寺町竹屋町上る行願寺門前町17 TEL075-211-2770
・拝観自由・無料 ・車椅子拝観介添同伴可 
・拝観時間:8:00~16:30
・交通:市バス 河原町丸太町バス停徒歩3分
    市営地下鉄丸太町駅下車徒歩7分
    京阪鴨東線神宮丸太町駅下車徒歩6分

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